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大王様の祖マイヤーは

1789年、21歳になった3男ネイサンをロンドンに派遣した。彼の使命は米国の銀行の支配権を獲得することであった。それから凡そ20年たった1811年、ちょうど第一合衆国銀行が20年の認可期限が来て、これを更新するかどうかが議論されていた。

 ネイサンはロンドンにいながら「特許状の更新要請が認められるか、合衆国が悲惨な戦争に巻き込まれるか、道は二つに一つ」と最後通牒を突きつけた。米国の政治家のほとんどは「国際銀行家に戦争を誘発することなど出来るわけない、はったりに過ぎない」と見て更新拒絶をした。
 戦争は金融屋が起こすものであるということが、彼らにはまだ分かっていなかったのである。現在の人も、日本人を含めほとんど分かっていない。

 1812年、実際に米英戦争が開始された。戦争するにはお金がかかる。戦費をどうするかという問題になるのである。
 40歳そこそこの若いネイサンは「生意気なアメリカ人に教訓を与えてやれ、植民地時代の惨めな姿に引き戻してやる」と豪語した。自分が英国を支配しているという自信がありありと見える。「合衆国銀行の特許状と更新と引き替えでなければ、いかなる経済援助も準備され得ない」と言いきった。

 ネイサンの計略は現実のものとなった。戦争のせいで何万という死傷者が出る、何万もの女性が未亡人になる、何万もの子供が孤児となった。ネイサンは一向に気にしない。結局、米国民は政府の政策が悪いと怒り、国民の間に不満が募り、この現実をネイサンらは予測しかつ喜んでいる。陰で糸を引いているのは金融屋であることに気がついている者はほとんどいなかった。

 こうして1816年、更新期限から5年遅れて合衆国議会は合衆国銀行の特許状更新を承諾し、第二合衆国銀行が誕生した。
 ロンドン大王家の祖ネイサンがこの当時既に英国を支配し、米国を取りに行っている様子がよく分かる。彼はこの時期、既にフランス革命を起こして、フランスを取り、その後に出てきた彼にとっての邪魔者ナポレオンを退治している。大王家の2代目がこの時期には既に奥の院を形成しつつあった。

 アメリカ海軍創設者で第二代アメリカ大統領を務めたジョン・アダムズが1787年トマス・ジェファーソン(第三代大統領・独立宣言起草者)に「あらゆる面倒、混乱、苦境が生じたのは合衆国憲法の不備ゆえでも、道義心や徳の欠如ゆえでもなく、金、貸付、通貨というものについての無知さゆえである」と書いて送っている。
 これに対してジェファーソンも「銀行組織は我々の自由にとって、目の前に立ちはだかる敵より危険です。彼らは既に金融貴族社会を打ち立て、政府に挑みかかっています。貨幣発行の権限を銀行から取り上げ、もともとそれを有している国民の手に戻さなければなりません」と応えている。
 しかし現実は奥の院の指し示す方向に今も進んでいるが、このことに気がついている人は少ない。

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