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大変な年・1848年

 一口で言えば、奥の院が世界支配を目指して、具体的に行動を起こした年である。
 この年の前年1847年、奥の院の根拠地となるイギリスで、イングランド銀行だけがピール銀行条例の法定準備率の適用除外とされた。
 つまり、奥の院のイングランド銀行にだけに、「打ちでの小槌」を与えたのである。この「小槌」から打ち出される通貨が、彼らにとって都合の悪い敵(王国)を次々と殲滅していくための軍資金となる。そして現在ではFRBが、その役を引き受けて、奥の院の世界支配は盤石なものとなっている。

ここで、この年の主な出来事を列挙してみる。
1月、シチリアのパレルモで暴動が起き、革命がイタリア各地に波及していく。
2月21日、マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表する。
 24日、パリで革命が勃発し、国王ルイ・フィリップ(オルレアン公の息子)が追放され、翌々日26日にはフランス第二共和政が宣言される。
3月、オーストリアの支配下にあった、ロンバルディアとヴェネツィアの民衆が反乱を起こし、現地のヨーゼフ・ラデツキー指揮下のオーストリア軍を駆逐した。
 13日、ウィーンで革命(ウィーン3月革命)が起き、学生の一部が議事堂に押しかけてメッテルニヒ(オーストリア帝国宰相)の退陣と憲法の制定を要求し、ウィーン市内に暴動が拡大し、メッテルニヒは辞任に追い込まれ、ロンドン(奥の院の膝元)に亡命した。
 15日、ブダペスト(ハンガリー)で革命が起きる。
 20日、バイエルン王国ルートヴィヒ一世が退位する。
 21日、プロイセン王国でフリードリヒ・ヴィルヘルム四世が、憲法の制定を約束させられる。
 25日、バイエルン王国でマクシミリアン二世が即位する。
4月10日、ロンドンのケニントン・コモン広場で、チャーティスト集会と第3回国民請願が行われる。
5月18日、フランクフルト国民議会が開催される。
10月、ハンガリーが独立を宣言する。
12月2日、オーストリア帝国でフェルディナント一世(神聖ローマ帝国皇帝)が退位し、フランツ・ヨーゼフ一世(フェルディナンド一世の甥)が18歳で即位した。
 10日、フランスでバルーフ・レヴィが初代大統領に就く。そして、ユダヤ金融業者アシーユ・フールやミス・ハワードらが資金を援助する。 
 20日、ルイ・ナポレオン(ナポレオン・ボナパルトの甥)が、フランス第二共和政大統領に就任する。
 ここで、1815年に成立したウィーン体制は崩壊し、ユダヤ人たちが、「非ユダヤ人は一切の私有財産を放棄せよ」と要求して叫ぶ。この年のユダヤ人暴動により、欧州各国で、多くのユダヤ人が閣僚の地位に就いた。

 カウフマン(ユダヤ人)が『ユダヤ民族の偉大な時代と思想』の中で、
 「ユダヤ人の解放が、この一世紀に亘って実行されてきたフランスでも、新内閣に二人の高名なユダヤ人が含まれていたのは別に驚くに値しない。一人はミシェル・ゴショリー蔵相、同様に重要な法務相は、ユダヤの権利の筋金入りの闘志アドルフ・クレミューの手に引き渡された」と書いている。
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