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これまでの奥の院の歩みの前編

1 清教徒革命
 1290年にイギリスから追い出されていたユダヤ人が、1600年に戻ってきた。そしておよそ半世紀後の1649年にイギリス国王チャールズ1世を公開処刑し、イングランド王国(スチュアート王朝)を潰した。彼らはこのクーデター・テロ事件を歴史には清教徒革命と美しい名前をつけた。そして美しい名前の裏でイギリス人大虐殺が行われた事実は隠した。

2 名誉革命
 国王チャールズ1世を処刑した後、暫くして1688年、彼らはオランダからウィレム3世をイギリス国王に迎え即位させた。この時は戦争がなく、血が流れなかったから、これまた名誉革命と美しい名前を付けた。実際は、処刑したチャールズ1世の末子ジェームズ2世を追放してスチュアート王朝を完全に潰したのであるが、このクーデターを名誉革命として歴史に残し、実体は隠した。

3 打ち出の小槌
 ウィレム3世はイギリス国王にしてもらったお礼として、1694年ユダヤ人銀行家たちが要求したイングランド銀行設立(彼らの私有銀行)の勅許を与えた。これで彼ら金融資本家(奥の院)のイギリス支配が完成する。

4 大王の誕生
 1744年、現在の奥の院の祖であるマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがドイツのフランクフルトで誕生する。現在の大王家の祖が誕生したのである。

5 奥の院の誕生
 マイヤーが30歳になった1773年、彼は欧州の金貸し大富豪12人を招集して、これからは金融界(金貸し)は、皆で統一行動を取ると言うことを同意させた。こうすることによって好況と不況を自在に作り出せるという。いつでも大恐慌をを作り出せるようになったのである。

6 アメリカ独立戦争
 奥の院の植民地からのアメリカ国民の独立をめざし、アメリカ独立戦争が起きる。

7 フランス革命
 イギリスで打ち出の小槌を手にした奥の院が、小槌をたたいて資金を作り、その金でフランスを取りに行った戦争で、フランス人大虐殺(テロ)を行い、フランスのルイ王朝を潰した。

8 ナポレオン戦争
 フランスのルイ王朝が潰された後、1815年、革命と称してのフランス人大虐殺から立ち直るべく立ち上がったナポレオンを潰した。欧州の全王国の君主に金を貸して対仏同盟を作らせ、大戦争をさせて潰した。最後は大西洋のど真ん中にあるセントヘレナへ島に流して、そこで彼を毒殺した。

9 アメリカでの打ち出の小槌
 フランス人大虐殺をし、その後ナポレオンを潰している間、1791年に奥の院は第一合衆国銀行を、1811年には第二合衆国銀行を設立し、アメリカでの打ち出の小槌をいったんは手にしたが、いずれも20年という期限付きであって、その延長が認められず、彼らはアメリカでの打ち出の小槌を手に仕掛けたが失敗した。

9 1848年、欧州同時革命
 ナポレオンを潰して欧州の戦後体制としてウィーン体制を築いたが、1848年、欧州に同時革命を起こして、ウィーン体制で出来たあらゆる王国をまた潰し、それぞれの国を奥の院の支配国家とした。そしてこの年マルクスに共産党宣言を出させた。
 欧州での奥の院支配はほぼ完了したのである。
(明日に続く)

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