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信用創造の誕生

 金の加工などを生業(なりわい)にいていたユダヤ商人は、顧客から金を預かり、それを加工してまた顧客に加工済みの商品として渡していた。勿論、加工賃は取る。
 そのうち、顧客は加工の予定のない金でも、家に置いておくと盗難などのリスクもあるので、加工業者に預けることが多くなった。その場合、加工業者は預かり証を発行した。

 そうするうちに、預けてある金を他人に譲渡するとか相続するとかで、その金の所有者が変わる場合は、いちいち金を返してもらわずに、金預かり証を渡すことで取引を終えるようになった。
 つまり、金の流通は金証券の流通に変わった。金の預け主は金の返還を求めず、金証券が流通するだけになったのである。

 そこで賢い金細工業者は、はたと気がついた。彼らは預かった金の返還を求められることは滅多にない。それでは預かってもいないのに、金証券だけ作って人に売ることが出来る。金の裏付けのない金証券を発行すれば、ただでお金が取れる、と言うことに気付く。いわゆる坊主丸儲けの世界が現出した。勿論、金の裏付けがある振りをして証券だけ発行し、それを売るのであるから、これは完全な詐欺行為である。

 1キロの金を預かって1キロの金証券を十枚発行し、九枚は空の金証券となる。全員が一度に返還を求めるとその業者は破綻するが、そのようなことはまず起こらない。ここで発生した、空の金証券のことを彼らは信用と言った。ここに「信用」という言葉が生まれる。そして、万一返還を求めてきた場合に備えて、この場合1キロの金はいつも用意しておく。このためにとって置いた金ことを「準備金」と言った。

 空の金証券を発行して、それが信用されれば全く問題なくこれが流通する。問題は、不安がられて同時に返還を求められることである。そのような事態が発生しないようにと彼らが考えたのが、政府のお墨付きをもらうことであった。

 清教徒革命で王殺しをやったユダヤ人の金貸したちが、後にオランダからウィリアム3世を連れてきてイギリスの王に据えてやったが、その時のお礼がイングランド銀行設立の勅許であった。
 イギリス政府とは全く関係のない彼らの私有銀行が、イングランド銀行という名称で、あたかも国立のような振りが出来た。この銀行が作る「信用」に絶大なる信用が付与されたのである。元手は僅かな金準備だけで、それで莫大な信用創造が出来るようになった。これが打ち出の小槌である。

 その後、同じカラクリで、彼らはアメリカにFRBを造って、第二の打ち出の小槌を手にした。そして、後に彼らは金兌換を停止して準備金なしで信用創造できるようにした(ニクソン・ショック)。従って今では彼らは何の制約もなしに、無限に信用創造できるようになっている。

日本では、打ち出の小槌は一寸法師や七福神の大黒天などの、おとぎ話として親しまれているが、ユダヤ人(奥の院)の手にした打ち出の小槌は戦争資金として使用され、世界を不幸のどん底に落としている。大虐殺に使用されている。宜しくない面々である。

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