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大王家は

 1836年にアメリカで第2合衆国銀行が20年の期限切れでなくなってからは、アメリカでの通貨発行権を失い、支配しにくくなった。
 
 翌年1837年に大王家の2代目のネイサン(ロンドン大王家初代)がが死去し、息子のライオネル(大王家3代目)があとを継いだ。そして彼は早速、甥のオーガスト・ベルモントをアメリカに派遣する。そこでベルモントはキャロライン・ペリーと結婚してペリー財閥と結びつき、日本の開国とも関係してきたことについたは既に書いた。

 とにかく、大王家としてはアメリカでアメリカ政府の銀行の振りが出来る、自分の私有銀行を作りたいのである。80年後にFRBの設立でこの念願を果たすのであるが、その間の80年は彼らの策謀の歴史と言える。
 ちょうどこの年1837年、イギリスではヴィクトリア女王(現エリザベス女王の高祖母)が即位した。ヴィクトリア女王と大王家に関係については後に書くことにする。

 前年1836年12月の選挙では、マーティン・ヴァン・ビューレンが大統領に選出されている。彼は前のアンドリュー・ジャクソンの国務長官、副大統領を務めていた。アンドリュー・ジャクソン大統領は第2合衆国銀行の期限延長を拒否してこれを消滅させた大統領で、大王家にとっては仇敵であった。

 アメリカに渡ったベルモントは、ロンドン大王家と組んで、アメリカで大恐慌を演出し財をなす。持っていた株式・債券を投げ売りし、これを底値で代理人にピーボディー(後のモルガン家)にすっかり買わせたのである。ベルモントは大恐慌を演出しながらしっかり儲けているのである。さすがに大王家が派遣した人物だけある。

 一方、ヴァン・ビューレン大統領は1837年に発生した大恐慌によって、経済問題に終始悩まされ、次の1840年の選挙で敗退させられたのである。その意味ではビューレン大統領も大王家に敗退させられたのであった。

 1856年には、オーガスト・ベルモントはアメリカ民主党党首としてアメリカの政界に大きな影響を及ぼすようになる。奥の院の力、大王家の力は創造以上のものがある。

 しかしこの銀行のない80年の間、アメリカ合衆国は大躍進し、世界のアメリカへと成長したのである。国家として、大王家に利子を払わなくてもいい期間であったから、大発展したのである。この80年が過ぎて、1913年に大王家の陰謀でFRBが出来て、アメリカは国として大王家の支配下に入ってしまった。その後のアメリカの歴史は、FRBを通じての奥の院支配下での歴史である。これは現在も続いている。
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