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アルフレッド・ド・ロスチャイルド

 1842年7月20日、ロンドン・ロスチャイルド家2代・ライオネルとナポリ・ロスチャイルドの祖カール・ロスチャイルド(大王家の祖マイヤーの4男)の娘シャーロットが結婚した。祖マイヤーの曾孫と孫の結婚である。ここで、ロンドン・ロスチャイルド家とナポリ・ロスチャイルド家の近親結婚が行われ、両家の絆を深めている。
 二人の間の次男として誕生したのが、このアルフレッド・ド・ロスチャイルドである。兄にナサニエル、弟にレオポルドがいた。

 彼は1868年、26歳でイングランド銀行の理事に就任し、その後20年あまりこの職にいた。イングランド銀行がいかに大王家の私物であるかがよく分かる。
 また1879年に父のライオネルが死去すると、彼は兄弟2人とともに、投資銀行N・M・ロスチャイルド&サンズの共同経営者に就任している。

 アルフレッドは生涯結婚せず、子供もなかった。しかし彼は遺産の大半をイギリス貴族の第5代カーナーヴォン伯爵ジョージ・ハーバードの妻・アルミナに与えている。また彼はアルミナがカーナーヴォン卿と結婚した際にも、多額の持参金をアルミナに与えている。
 従って、アルミナはアルフレッドの隠し子ではないかとも言われている。大王家(ロスチャイルド家)は財産を他家に渡すことはないので、この話には信憑性があるものと思われる。

 5年前の1837年にはナポリ・ロスチャイルドの祖カールの庶子であるオーガスト・ベルモントをアメリカに大王家の代理人として派遣している。従って、アメリカに派遣されたベルモントはロンドン・ロスチャイルド家とナポリ・ロスチャイルド家がアメリカに進出したことを意味しており、大王家がアメリカに、極めて重要な拠点を、気合いを入れて設けたことになる。

 その後、彼はアメリカで期待通りの活躍をしている。この時期での、この大王家の課題は、いかにアメリカで自分の私物としての銀行を作るかと言うことであった。1836年に第2アメリカ合衆国銀行がなくなって以来の課題であった。

 その後1857年にはパリ・ロスチャイルド家のアルフォンソ・ロスチャイルド(ジェームス・ド・ロチルドの長男)と英のライオネル・ロスチャイルドの娘レオノラとが結婚し、ロンドンの大王家とパリの大王家との絆も強めている。こうして、この時期、奥の院の大王家は祖であるマイヤーの孫、曾孫の段階で盛んに近親結婚を繰り返し、大王家の礎を築いていく。


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