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ライオネル・ド・ロスチャイルド

 昨日書いたアルフレッド・ロスチャイルドの父で、ロンドン・ロスチャイルド家初代ネイサンの息子である。

 1854年、ロシアがユダヤ人をいじめるという理由をつけて、イギリス、フランス、トルコに金を出して同盟させ、ロシアを攻撃させて、クリミア戦争を引き起こした。この時はロシアを敗北させる。それから20年あまり経った1877年には露土戦争を引き起こして、今度はトルコを敗北させる。

 大王様は、「私はいつでも、どこででも戦争を引き起せる、引き起こした戦争でどちらを勝たせるか、いつ終わらせるかは私が決める。戦後の講和条約も私が決める」と言ったが、その通りに実行している。
 この2つの戦争の真の目的は、ロシアもオスマントルコも潰すと言うことであった。後の歴史はその通りになっている。彼は大王家の仕事・戦争を忠実に実行している。

 彼は1836年に父のネイサンが死去して、28歳で父の金融業を引き継いだ。
 1847年、39歳で庶民員議員にホイッグ党から立候補し当選したが、キリスト教の宣誓を拒否して議員にならなかった。この時彼は「世界中で最も富み、最も重要で、しかも最も知性のある、選挙区の代表者が議会に入ることを、言葉上の形式を理由に拒否することなど出来ないと確信している」と豪語し、ユダヤ教の信念を貫いている。しかし、ここで彼はユダヤ教の形式を理由に宣誓をしないのであるから、同じことをしていることには気づいていないのであろうか。
 いずれにしても、彼はこの時既にイギリスでの実質的な大王(奥の院)の地位にいることを確信していることがよく分かる。

 以後、彼は毎回選挙に当選し、庶民院はその都度ユダヤ式宣誓を認めるという動議を出すが、貴族院では貴族たちが「無礼なユダヤ人たちにその分際を弁えさせよう」とこれを否決する。
 しかし、11年後の1858年、遂に宣誓方式は庶民院・貴族院でそれぞれ独自に定めるという法案を可決し、庶民院議員となった。
 ロンドン・ユダヤ人教会からは「市民的自由と宗教的自由のための戦いに勝利した」と賞賛された。しかし、彼は登院することはなく、議会で演説することもなかった。非ユダヤ人の議会を愚弄しているに過ぎなかった。

 続いて彼は貴族院議員になることを目指し、1869年に首相ウイリアム・グラッドストーンに推挙させたが、この時はヴィクトリア女王に反対され実現しなかった。ユダヤ人であることが理由であった。これは、息子のナサニエルになってロスチャイルド男爵の爵位を与えられて実現した。ここでイギリス議会も大王家に完全に屈服したことになるのである。
 この経緯を見ると、ここでユダヤ人大王家が名実ともにイギリスの支配者になった過程がよく分かる。
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