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スエズ運河

 1858年12月、フランスの外交官レセップスがスエズ運河会社を設立した。レセップスがカイロ領事の時に家庭教師として教えていた、サイード・パシャが同意してくれて開削権を取得できた。

 工事は始まったが、イギリスがこれに様々な妨害を加え、途中で資金難に陥った。この時代イギリスは奥の院支配下にあったので、奥の院がスエズ運河建設に妨害を加えていたのである。

 1863年1月にはレセップスの教え子サイード・パシャが急死し、イスマーイール・パシャが後を継いだ。奥の院はこのイスマーイール・パシャに圧力を掛け、前任のサイードが与えた免許を認めることを拒否させた。当時エジプトの宗主国はオスマントルコであったが、奥の院はこのオスマントルコにも圧力を掛け、工事を妨害させた。
 ベッドウィンを武装させて送り込み、叛乱を煽った。このため工事は遅れた。スエズ運河会社の株式もフランスでは即時完売したが、イギリス、アメリカ合衆国、オーストリア、ロシアでは全く売れなかった。奥の院が資金を出さないからである。

 レセップスは親族でもあるナポレオン三世に仲介に入ってもらい、イギリスのパーマストン首相を説得し、補償金380万ポンド支払うことにし、何とか工事を進め1869年11月、ようやくこれを完成させた。しかし完成までに当初予算の2倍の費用が掛かった。

 財政難に陥ったエジプトが持ち株を400万ポンドで売りに出し、これをいち早く買い取ったのが奥の院支配のイギリスであった。これはディズレリーがヴィクトリア女王に進言し、一日で時の大王様(ライオネル・ド・ロスチャイルド)に資金を用意させ買わせたのであった。つまり、奥の院はこのスエズ運河が欲しくなったのである。

 その後、1882年にエジプトで起きた(起こさせた)ウラービ-革命での暴動を口実に、奥の院はイギリスに軍事介入させ、1888年「スエズ運河の自由航行に関する条約」を結ばせ、スエズ運河はイギリス管轄下の中立地帯と定めさせ、イギリス軍が駐留させることになった。

 何のことはない、レセップスの発案で開発に着手したスエズ運河の工事を、さんざん邪魔して、費用を当初予算の2倍まで膨らませ、出来上がった運河を奥の院は、ちゃっかり取り上げてしまったのである。勿論、彼らの出した資金には利子が付いて、これが奥の院の利益となっている。
 
 スエズ運河が完成した1869年の前年、日本は開国し明治政府が誕生した。そしてこの1869年8月にはヴィクトリア女王の息子のアルフレッド王子(25歳)が来日している。外国王族の初来日であった。
 またこの年、アメリカではアメリカ合衆国最初の大陸横断鉄道が開通している。そして、この時期、アメリカでは第二合衆国の任期が切れて、奥の院の銀行がない時代で、奥の院はこの年、アメリカで大恐慌を起こしている。
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