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ユダヤ銀行家がヒットラーを生み育てた

 アメリカのFRS(連邦準備銀行制度)を生み出したジキル島での秘密会議を取り仕切った、ポール・ウォーバーグの実兄マックス・ウォーバーグは、ドイツに残ったユダヤ人銀行家である。

 彼は、アドルフ・ヒットラーという名の反ユダヤ主義政治家を見いだし、早い時期から彼の政治活動を支援してきた。彼と一緒にヒットラーを支援したのが、ユダヤ人のマックス・フォン・オッペンハイマー男爵である。彼もまたドイツのユダヤ人銀行家アルベルト・フォン・オッペンハイマーの息子で、ドイツの外交官であったが、彼については機会を改めて書く。

 二人はヒットラーの政治活動を支援するが、最初の資金提供は100万マルクであった。この資金で、ヒットラーは制服に身を包んだ突撃隊の一団を作り上げ、1923年11月にはクーデターを試みたが、これは失敗に終わった。ミュンヘン・クーデターである。その後もユダヤ人銀行家たちは、ヒットラーに資金援助し続けた。

 ポール・ウォーバーグの実兄マックス・ウォーバーグは、ナチスのユダヤ人弾圧の嵐が吹き荒れる期間中もドイツで平穏に暮らし、いよいよ戦争が近いと察した1939年に、ドイツを去ってアメリカに渡っている。厳しい通貨統制が敷かれた中で、マックス・ウォーバーグは全財産をもってドイツを離れることを許されている。
 
 ナチスの政治運動の初期の資金はユダヤ人の資金であったと言うことははっきりしているのである。1928年以降は、共産主義者によって工場を奪われることを恐れた非ユダヤ人の実業家たちによって賄われた。
 このような経緯で分かる通り、ナチスの政治運動の最初の起動力を提供したのは、ユダヤ人たちの資金であったということは厳然とした事実である。

 ユダヤ人銀行家たち(奥の院)は、1913年に作り上げたアメリカの連邦準備制度を使って通貨を大量発行して、第一次世界大戦を引き起こしいよいよ世界支配に乗り出した。欧州を焦土にし、オーストリアのハプスブルグ家を潰し、同時にロシア帝国のロマノフ王朝をも潰した。
 その後、ロシア帝国を潰して作ったソ連と組んで第二次世界大戦を引き起こし、日本を潰して世界支配を完成の域に近づけた。

 日本は別に彼らの世界支配の道を妨げる意図は全くなかったのであるが、彼らの造り上げた世界の植民地を解放しようとしたので、結果として彼らの邪魔になっただけである。最後の邪魔者が日本だったというわけである。日本はどこまでも善意である。しかし、これが彼ら奥の院にとっては一番都合の悪い存在なのである。日本はまだその一番重要な点に気付いていない。

 彼らは国際連合を中心とした国際機関を作って、世界支配を現実のものとして運営し始めているが、日本はこれらを理想的な機関として信仰しているようである。日本を虐めている国際機関であるにも拘わらず、せっせと真面目に分担金を支払っている。このこと自体は決して悪いことではない、良いことである。ただ、国連を使った日本潰しだけは、させてはならない。国連やメディアを使っての日本の天皇・皇室潰しだけは、絶対に防がなければならないのである。

 「皇統が男系であるのは男女平等に反するから改革しろ」なんていう勧告を出そうとしているので危ない。一部の日本人がこれに乗っかって「愛子天皇待望論」「女系天皇容認論」などと騒ぎ出している。これこそが奥の院の日本潰しのお先棒担ぎである。
 万世一系の天皇がおられなくなれば日本は終わる。世界で最後に残った王を潰すことによって、日本を終わらせることが奥の院の最終目標なのである。ユダヤは世界に二人の王は認めない、彼らにとっては世界の王はイスラエルの王だけである。

ジキル島での秘密会議

 1910年11月、大富豪7人(昨日の通信参照)がモルガン所有のジキル島に集まって秘密会議を開いた。彼らのために特別列車が仕立てられ、全て偽名で集まった。
 そして、お互いが目的地に着くまでは話をしないようにし、ファーストネームで呼び合った。これだけの大物がそろって行動しているのであるから目立つし、とにかくメディアに感づかれないように、細心の注意を払った。

 新聞記者たちは、世界の銀行家のトップが集まって、ジキル島に向かったということは掴んでいたが、何の目的で集まったかは、数年後まで分からなかった。
 あくまでも、1907年に起きた大恐慌・大不況のための対策を話し合うということにしていた。しかし実際は、連邦準備銀行制度(FRS)の法案作りのためであった。

 表向き、この会議を主催したのは、ネルソン・オルドリッジ共和党上院議員で、彼は1881年以来ロードアイランド州上院議員を勤め、長年上院財政委員会委員長も務めている。
 そして、実務を取り仕切ったのは、J・P・モルガンとポール・ウォーバーグであった。このポール・ウォーバーグは、8年前の1902年にドイツから移民してきた男で、ヴェニスのユダヤ人銀行家ベル・バンコ家の者であるが、アメリカに移ってきて、ウォーバーグと名を変えた。

 以前、今回と同様な法案を、オルドリッジ法案として上程したが、この時はこれが廃案になった経緯があったので、今回は慎重に、大統領のすげ替えをする。現職であり、国民に人気のあった現職大統領タフトに対して、セオドア・ルーズベルト(タフトの前の大統領)を担ぎ出して立候補させ、共和党の票を割らせ、この連邦準備銀行制度に賛成すると約束をさせた上で、ウッドロー・ウィルソンを当選させた。

 この法案を通すために、奥の院は大統領選挙に介入したのである。前大統領セオドア・ルーズベルトを候補に立てて共和党の票を割らせてまでして、ウッドロー・ウィルソンを大統領にした。

 一方、実務の一切を取り仕切ったのはポール・ウォーバーグだった。彼は僅か8年前にアメリカに移住してきて、目立たないように名前まで変えているのである。

 ポール・ウォーバーグの兄はマックス・ウォーバーグで、ドイツに残り、皇帝ウィルヘルム2世の顧問を勤め、第一次世界大戦後はドイツ帝国銀行の役員を勤めている。第一次世界大戦の当事国の双方に、ウォーバーグ兄弟がいたことは、奥の院がその始めから、この大戦を演出していたことの証拠の一端を示していると言える。

 マックス・ウォーバーグは皇帝ウィルヘルム2世の顧問を勤め、ドイツに残って1933年から1938年までドイツ帝国銀行の役員を勤めているので、ドイツの愛国者であったのかも知れない。しかし、第二次世界大戦勃発の前年1938年にはアメリカに移住を余儀なくされている。
 この兄弟は奥の院が第一次世界大戦、第二次世界大戦の双方を演出するに当たっての、重要な役割を担っていたことだけは事実である。ロスチャイルドの忠実な代理人としてよく働いた。

FRS設立後

 ウッドロー・ウィルソンは1911年から1921年まで、8年間アメリカ大統領を務めた。この間、彼は1913年に成立した連邦準備制度法に大統領の署名をした。

 翌1914年1月、この連邦準備制度法のもとで、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、クリーブランド、リッチモンド、アトランタ、シカゴ、セントルイス、ミネアポリス、カンザスシティー、ダラス、サンフランシスコの12の都市に、連邦準備銀行(私有銀行)が設立され、連邦準備券(ドル紙幣)を発行し、市中銀行の監督と規制をできるようになった。

 これら12の連邦準備銀行は全て私有銀行である。しかも、私有銀行でありながら、あらゆる市中銀行を規制、監督するのであるから、絶大なる権限を持った。しかも、これら連邦準備銀行は、アメリカ議会やその他の政府機関のどこからも独立した私有銀行である。どこの政府機関の監督も受けず、それでいてドル通貨を自由に発行できる存在となった。

 この制度では、連邦準備銀行がアメリカ政府に資金を貸し付けて、同額の連邦準備券(ドル紙幣)を発行するのである。アメリカ政府が発行するのではなく、一旦、連邦準備銀行がアメリカ政府に貸付をして、それと同額の連邦準備券を発行するのである。
 そして、連邦準備銀行は貸し付け先のアメリカ政府から、その貸し金に対する金利を受け取る。つまり、連邦準備銀行がアメリカ政府の必要とする資金を貸し付けて、その分のドル紙幣を発行し、それに対する金利を銀行は受け取ることになる。 

 したがって、連邦準備制度法が成立すると同時に、議会はアメリカ政府が連邦準備銀行に支払う金利の財源確保のために、アメリカ連邦税法を成立させている。
 あとは、銀行は出来るだけ多額の金利を受け取るべく、政府に対する貸付額(ドル紙幣発行額)を増やそうとし、政府の資金需要を発生させようとする。そのために、アメリカに戦争をさせ、政府の資金需要を作る。

 実際に、1913年連邦準備制度法が制定された翌年1914年に連邦準備銀行は営業を開始したが、その1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発し(勃発させ)、それにアメリカを参戦させるべく、兵器生産をフル操業させ、生産された兵器をアメリカ政府に買わせて、1917年にはこの戦争に対する参戦にこぎ着けた。しかも、彼らはその戦争を出来るだけ長引かせるようにした。

 奇妙な制度である。政府は必要とする資金を連邦準備銀行から借り入れ、その分の紙幣を連邦準備銀行が発行し、政府は金利を支払う。その支払いは連邦税で賄う、つまり金利は国民が負担するという制度である。
 こんな迂遠な方法で通貨を発行するくらいなら、政府が直接通貨を発行すれば良いのである。実際、リンカーン大統領はこれを実行した。彼はアメリカ政府紙幣(グリーバック)を発行したのである。奥の院としてはこれは困るというので彼を暗殺した。同じくアンドリュー・ジャクソン大統領も暗殺されたが、幸いにもこれは未遂に終わった。

 現在では、連邦準備銀行が発行する通貨ドルは世界の基軸通貨となり、あらゆる国の外貨準備金ともなっているので、その発行額は巨大となり、それは即ちアメリカ政府の連邦準備銀行からの借入金となっている。それに対する金利はアメリカ政府が支払うので、その額は天文学的な額になり、連邦準備銀行の受け取る金利もまた天文学的額となる。

 しかも、1971年のニクソン・ショック以来、このドル紙幣は金(ゴールド)の裏付けは全くなくなっているので、発行額に対する限度もなくなっている。こんなことは何時までも続けられるものではない、どこかで破綻し、その時は超ハイパーインフレか第3次世界大戦である。ただ、これがいつかは誰にも分からない。知っているのは奥の院だけである。彼らがしていることであるから、彼らの意向次第ということになる。
 

やはり名称はFRS

 1913年12月23日、アメリカで連邦準備制度法(FRS)が可決された。

 アメリカでは、第一合衆国銀行、第二合衆国銀行が過去において存在したが、いずれも20年という認可期限が付され、期限が来たらそれで期限延長は認められず、消滅した。
 そこで、どうしても自分たち私有の国立銀行(中央銀行)を持ちたい奥の院は、この時は「銀行」という名称を慎重に避けた。そこで、名称は「連邦準備制度(FRS)」とした。そして、12月23日という特別な日を選んで議会に提出した。

 この日はクリスマス休暇の直前の日で、ほとんどの上院議員は郷里(選挙区)に帰って、議会に出席していない。だからこそ、わざわざこの日を選んで法案を議会に提出したのである。出席していたのは法案を通したい僅かな内輪の議員たちだけであった。

 FRS設立のために周到に準備していた秘密会議のメンバーは次の通りである。

ネルソン・オルドリッチ・・・共和党上院議員で院内幹事、全国通貨委員会委員長、J・Pモルガンの投資パートナーでジョン・ロックフェラーの義父
エイブラハム・アンドリュー・・・連邦財務次官で通貨委員会特別補佐官
フランク・ヴァンダーリップ・・・ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク頭取、ロックフェラーとクーン・ロエブ商会(ロスチャイルド一族)を代表
ヘンリー・ディヴィソン・・・J・Pモルガン商会の共同経営者
チャールズ・ノートン・・・J・Pモルガンのファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨーク頭取
ベンジャミン・ストロング・・・J・Pモルガンのバンカーズ・トラスト・カンパニー社長で、のちのニューヨーク連邦準備銀行の初代総裁
ポール・ウォーバーグ・・・ロスチャイルド代理人、クーン・ロエブ商会の共同経営者

 これらのメンバーの中で、中央銀行の設立法案に関与したのは、ポール・ウォーバーグだけであった。設立作業の実務は彼が一人で行ったのである。

 FRBの株主は以下の通りである。
ロスチャイルド銀行(ロンドン・ベルリン)
ラザー・フレール(パリ)
イスラエル・モーゼス・シフ銀行(イタリア)
ウォーバーグ銀行(アムステルダム)
ウォーバーグ銀行(ハンブルグ)
リーマン・ブラザーズ(ニューヨーク)
クーン・ロエブ銀行(ニューヨーク)
ゴールドマンサックス(ニューヨーク)
(以上ロスチャイルド系)
チェース・マンハッタン銀行(ニューヨーク)ロックフェラー系

 FRS設立のために集まった秘密会議のメンバーとFRB株主はほとんど同じで、これらがまさに「奥の院」を構成している者たちである。彼らが世界の基軸通貨ドルの発行権を独占し、世界を支配している。しかも、この事実はほとんど知られていない。


FRB創設に向けて

 1893年3月11日、アメリカ銀行協会から全米の銀行に手紙が発せられた(回覧された)。

 「国立銀行関係者は、議会による財政法案の緊急立法化を求めている。銀行券および銀の買い入れ代金として発行された紙幣は、回収されなければならない(資金引き上げ)。そして金本位の国立銀行紙幣だけが唯一の金(通貨)とされなければならない。そのためには流通基盤として5億ドルから10億ドルの新たな債券が認められなければならないだろう。諸兄におかれては、その流通の3分の1を回収し(貸し出し制限)、その2分の1の返済を要求(貸し剥がし)されたい。顧客の間に、とりわけ有力事業主間に、金融的切迫状態を慎重に作り出して頂きたい。安定した投資対象銀行としての国立銀行の生命は、迅速な行動にかかっている(早く国立銀行を創りたい)。政府の法定貨幣および銀貨を支持する気運(実は自分たちの気運)は高まりつつあるからである」と。

 この回覧は、1773年に奥の院の祖・マイアー・ロスチャイルド(この時彼は30歳)が、裕福で強い影響力を持つ12人の富豪(銀行家)を招いて会合を持ち、「資金をプールすることに皆さんが同意すれば、世界革命運動を支援、指揮する権限が得られ、それを行動の手引きにすれば、全世界の富、天然資源、労働者に対する支配権が得られる。そして経済不況を作り出して、その経済的悪状況を、国王、その廷臣、貴族、教会、企業家、雇用者の所為にする、革命(戦争)に導ける」と提案し、マイアーが金融カルテルを創設したことを受けている。

 この時、これに対する同意を得たので、マイアーはヨーロッパにおける金融カルテルを完成させた。この120年後の1893年、奥の院は同じカルテルを新大陸アメリカで作ろうとしている。
 この年から始まったアメリカの大不況は深刻となり、翌年1894年7月には鉄道会社が倒産し、全米の輸送体系が麻痺してしまった。

 この時期、アメリカには国立銀行なるものは存在しなかった。第2合衆国銀行の認可期限が切れて、延長が承認されずに、1841年にこれが閉鎖されてからは、アメリカには国立銀行と名乗れる銀行は存在しなかった。にもかかわらず、この手紙(回覧)では、それが存在するかのようにして、全米の銀行に通達している。とにかく、出来るだけ早い時期に、国立銀行(もちろん彼ら私有の)を創ろうとしているのである。

 このために、彼らは、この時に既に発行されている紙幣を、回収しろと指示している。要するに大不況を作り出そうとしている。「中央銀行がなくては困るでしょう」と国民に呼びかけているのである。そして、この彼らの願望が20年後の1913年にFRBとして適えられることになる。
 他方では、謀略でメイン号事件を作り出し、スペインとの戦争(米西戦争)を引き起こして、アメリカ政府に巨額の金を使わせ、アメリカ政府の(奥の院からの)負債を増大させた。

 政府に金を使わせて資金需要を造出する一方で、市場からは資金を引き上げて、大不況を創り出しているのである。「経済不況を作り出して、その経済的悪状況を、国王、その廷臣、貴族、教会、企業家、雇用者(この時は米政府)の所為にし、革命(戦争を含め)に導く」という、奥の院の狙い通りになっている。